名品・名所・名物

仙台市の定禅寺通り沿いにある仙台市の複合文化施設「せんだいメディアテーク」。仙台市教育委員会が管轄している。公式な略称は「smt」です。

仙台市民図書館・ギャラリー・イベントスペース・ミニシアターなどからなり、仙台の文化受容の中心のみならず、アート関連の中心となっています。

建築家・伊東豊雄の代表作品であり、外壁の総面積の73%がガラスというから驚きです。また、2階ブラウジングスペースの家具は妹島和世建築設計事務所のデザインです。特に構造の特殊性が注目されている。海外からの観光客が多いのも特徴です。

館内にはギャラリー・スタジオ・ミニシアター、そして、1階のオープンスクウェアがあり、美術・音楽・映画・生涯学習などの文化活動も活発となっています。オープンスクウェアでは、展覧会、ジャズやクラシック音楽などのライブ、映画上映、地元テレビ局の公開収録、SENDAI光のページェントの際の関連イベント、そして、定禅寺ストリートジャズフェスティバル in SENDAIの際には南側のガラスが全て開かれてアートイベントが開かれるなど、多様な集客装置として利用されています。このような仙台のアート関連の発信地とし、注目を浴びています。

 

はらこ飯は、鮭の旬である10~11月半ばに作られる亘理地方の伝統的郷土料理で、鮭の煮汁を加えて炊いた味付けご飯の上に、鮭の身とはらこ(イクラ)をのせたものです。阿武隈川の鮭は古くから名高く、秋の珍味と称されてきました。

阿武隈川の鮭は、古来有名で藩政時代は伊達藩主は、将軍家にも秋の味覚として献上されました。

これを漁獲するため、阿武隈川の河口に地引網を仕掛け、漁夫たちが、一網に数百の銀鮭を漁獲したといわれています。


「腹子飯(はらこめし)」は、仙台藩主貞山公(政宗)が、貞山堀の工事臨検の際、荒浜漁民が鮭の腹子をご飯に炊いて献上したところ、貞山公はことのほか喜び、側近へ吹聴したのが、世に珍重せられるに至った始めと伝えられています。 

藩政時代から続く伝統の味は、荒浜の飲食店が加盟する「荒浜はらこめし会」などの必死のPRもあって、全国的に有名になり、週末になると「はらこめし」を目当てに多くの観光客が来町し、人気の店先には行列ができるまでになりました。

鳴子の由来は、一説には源義経が北行した時に、出羽の国で婦人が子供(亀若丸)を産み、この地に来て産湯をつかわせたところ初めて呱々の声をあげたことからくる「啼子」説や、承和四年(835年)に潟山が大爆発し、熱湯が轟音をあげて噴出したことから、村人が「鳴郷の湯」と名付けたとする説があるようです。

昔から「カッケ川渡、カサ鳴子」といわれるように、鳴子温泉郷は源泉ごとに泉質が異なります。日本にある天然温泉の泉質11種のうち9種も泉質が鳴子あります。リウマチや糖尿病に効く湯、傷や皮膚病に良いとされる湯、子宝の湯、目の湯などさまざまな効能が味わえます。1軒の旅館で異なる泉質が楽しめるのも鳴子ならではの温泉の楽しみ方です。

鳴子の紅葉は格別です。鳴子峡では大谷川が刻むV字峡で、大谷橋から大谷観音までの1.3km、その後国道47号線に出て新遊歩道が整備された。見晴台からの景色も美しく、灰褐色の岩肌とブナ・ナラなどの黄、鮮やかなカエデの赤、マツの濃緑がそれぞれ引き立てあい、広大な紅葉を楽しむ事が出来ます。

「利府」といえば「利府梨」といわれる程利府の梨栽培はとても有名です。

利府梨をこの地に持ち込んだのは森郷の日野氏でした。

明治17年年、日野氏は約20アールの水田を畑に変え150本の梨の木を植えました。利府における梨栽培の始まりです。この時、日野氏は33歳でしたが、その後も品種の改良と栽培の普及に一生涯を費やし大正14年に77歳で亡くなりました。

十符の里プラザの東側(2号公園)に一本の真鍮梨の古木があります、この木の側にある頌徳碑は梨を利府の特産とした日野藤吉氏のパイオニア精神を称えたものです。



代表的な品種は通称「利府梨」と呼ばれている「長十郎」です。その他、「幸水」・「豊水」「二十世紀」・「あきづき」「新高」「早生赤」など多種の栽培がおこなわれています。

 秋の味覚の代表のひとつ梨。利府町では赤梨の代表品種・長十郎やあきづきのなどを中心に利府梨として栽培・生産しています。

この利府梨をもっとより多くの方に知ってもらいたい、味わってもらいたい、また利府梨のファンの皆様に『ありがとう』の感謝の気持ちを込めて、今年は会場をグランディ21円形広場特設会場に移して第4回利府梨まつりを開催します。

まつりでは梨の種飛ばし・梨の皮早剥き大会、ちびっ子広場などのイベントをはじめ、地場産品を販売します。

地場産品コーナーでは利府梨の代表・長十郎をはじめ幸水などの利府梨、梨で作ったワインやお菓子、野菜など利府の特産品が盛り沢山です。

なお、今年もJR利府駅発着(9:00〜14:00台)に合わせJR利府駅と会場を結ぶ無料送迎バスを運行。

是非ご利用下さい。

秋保大滝(あきうおおたき)は宮城県仙台市太白区にある滝。名取川にかかる。高さ55m、幅6m。日本の滝百選の一つ。国指定名勝。那智の滝、華厳の滝に次ぐ日本三名瀑に挙げられることもある。

秋保温泉に近く、観光客の来訪も多い。また付近に遊歩道もあり、滝壺近くまで歩いていける。付近には秋保大滝植物公園がある。冬場の秋保大滝周辺は凍っている。

2009年8月23日現在、滝壺までの遊歩道は通行止めとなっている。この遊歩道の通行止め情報は、仙台市の観光案内では非公開となっており注意が必要。

日本の滝百選はもちろん、華厳滝、那智滝に次ぐ三大瀑布に数えられることもあります。

また、国の名勝としても指定されています。 

水量、高さも素晴らしく、数キロ先まで響き渡る轟音と共に流れ落ちる滝は、風が舞う度空気中に水煙が広がり、見る人を圧倒します。滝見台で遠くから眺めるも良し、不動滝橋から遊歩道を下りて滝壺近くまで歩いて目の前で大迫力の滝を見る事も出来ますよ。

見頃はやはり秋の紅葉が素晴らしいですが、雪解けの春頃が最も水量が多く、更に迫力が増します。

夏でもひんやりとした森林の中で滝から出るマイナスイオンをたっぷり浴びるというのも良いですね。

秋保大滝の傍らには山寺立石寺の奥の院、大滝不動尊があり、大滝不動尊とは江戸時代に知足上人という行者が建立したものです。

知足上人は少年時代に母の眼病の平癒を祈るために大滝に籠もって断食して祈り続けたところ、母の眼病が全快しました。

そのご利益に感激した少年は修行を重ねて行者知足上人となり、生涯を不動尊建立に捧げたそうです。

今でも願いが叶うとして毎月御縁日祈祷などの行事が行われています。

定禅寺ストリートジャズフェスは、「市民ボランティアが中心となって運営」「無料」「街が舞台装置」をキーワードとした音楽イベントである。仙台市都心部の至るところがステージになり、演奏者と聴衆の高さも同じで距離が近く、また、買物ついでに立ち寄れる気軽さも、市民から多くの支持を受け、仙台の初秋の風物詩としてにぎわいをみせています。道行く人はオープンカフェやオープンバー、またはワールドキッチンなどで供される飲食物を片手に、自分の好きな音楽を楽しめる。

例年、前夜祭と本祭2日間で開催され、定禅寺通のほか、勾当台公園、一番町、西公園、青葉通、仙台駅西口ペデストリアンデッキなどや、タイアップステージに約100ヶ所のステージが設置され、700組以上のバンドで4000人以上が演奏する。参加バンド数・出演者数では日本最大の音楽祭となっており、参加する団体も、北は北海道、南は沖縄県と日本全国に及び、海外からの出演者もいる。

ジャズ、ロック、ゴスペルなど、ポピュラー音楽を中心にジャンルを問わず演奏されるが、ステージやエリアごとに演奏者の音楽の傾向を集め、聴衆は好きな音楽を選んで楽しむことが出来るようになっている。また、プロ・アマを問わず全ての演奏家に出演機会が開放されている。

2008年は2日間で約75万人の聴衆を集めた。これだけの観客数があるため、近年、定禅寺通りでは片側車線に交通規制をしいて期間中歩行者天国としています。

仙台が誇る祭り(フェスティバル)です。

 

蔵の郷土館齋理屋敷(くらのきょうどかんさいりやしき)は、宮城県伊具郡丸森町にある博物館です。

 

江戸時代後期から昭和初期にかけて、阿武隈川の舟運をきっかけに七代にわたり栄えた豪商、齋藤理助氏。
齋藤家の歴代当主が齋藤 理助(さいとう りすけ)を名乗ったことから齋理と呼ばれています。

昭和61年に建物と収蔵品が丸森町に寄付され現在は齋理屋敷として町の郷土資料館として一般公開されています。

10の蔵と2つの邸宅には、当時の衣類や美術品などが展示されています。

1年中を通して、様々な特別な展示が行われています開催されています。

 6,535平方メートルの敷地内には、往事の居宅1棟と蔵6棟、石造りの浴室1棟に加えて、丸森町が新築した建物2棟の合計10棟が立ち並んでいます。

通りに残ったほとんど唯一ともいえる蔵屋敷内には、昔の商売道具や晴れ着などの美術品や装身具などのコレクションなどが展示されています。

 

●開館時間/午前9時30分~午後5時
●休館日/月曜日(祝日の場合は開館)
●入館料/一般600円、子供300円
●交通/阿武隈急行線丸森駅から徒歩10分

宮城県伊具郡丸森町字町西25
問い合わせ/0224-72-6636

 

温麺と書いて「うーめん」と読みます。宮城県白石市の名物です。白石市は宮城県の南、蔵王の東の入り口にあります。伊達政宗の重臣片倉小十郎が城主となって治めたところであり戊辰戦争の発端となった奥羽越列藩同盟は白石で結ばれました。

白石温麺は三百年余の伝統をもつ食品です。江戸時代に白石に住んでいた大畑屋鈴木浅右衛門が、旅の僧に教わった油を使わない麺の製法を苦心の末会得して創始したと伝えています。

油なしの素麺はさっぱりして上品で、他の素麺より高級とされ、小麦粉と塩水だけで作られたこの麺は口ざわりが良く、胃にやさしく、滋養に富んでいます。

ゆで時間も短く、食べやすく、多様な料理法が考えられており、夏に冷して食べるのが主流の素麺とは異なり、温麺は冬の温かい麺に人気があります。他の材料を混ぜ込んだ変わり麺も製造されている。最近では卵麺、松茸麺、カルシュウム入りなどの麺も作られています。

新幹線白石蔵王駅構内に「温麺の館」があり、伝統の製法などを人形で展示して好評を得ています。

宮城県白石市は伊達政宗の重臣片倉小十郎景綱(かたくらこじゅうろうかげつな)公の城下町として栄えた歴史を持っています。そんな市内には今も当時の面影を色濃く残す風情に包まれた街並みが広がり、歴史的遺産も数多く点在しています。

また、温泉も名所のひとつです。

白石川上流の深い渓谷に面した場所にあり800年もの歴史を持つ『小原温泉』・600年以上も前、里人が鎌の先で発見した『鎌先温泉』「かっけ鎌先・目に小原」といわれるほど、以前から奥羽の薬湯として知られています。そしてうーめん作り、こけし作りなどの体験も出来るところもあります。

宮城にお越しの際には白石市を散策してみてはいかがでしょうか。

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